ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

不便でも豊かだったと…

今や情報はPCでというのが当たり前になって昨日も徳川園の情報をウエブから拾ってブログに埋め込みました。けれど、私の若い頃はPCがなかったので情報は新聞や雑誌、本からでした。

特に本州とは全く文化風土が違う沖縄で生まれ育った私は日本の歴史はもちろん四季や風土も学校の教科書やマンガから得て想像をふくらませていました。「秋の夕日に照る山紅葉」とか雪山賛歌も歌いましたが実際は見たことがなく想像の世界に過ぎませんでした。

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今なら沖縄でも当たり前に出てくる料理の類も私が子どもの頃は見たことがなく、例えばサンマの塩焼きもマンガの世界の食べ物でしたし、まだ本州では珍しかっただろうピザは結構食べていましたがお好み焼きは見たこともありませんでした。

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社会人になって生まれて初めて炉端焼き屋に行って食べたサンマの塩焼きの美味しかったこと。お好み焼きはふるさとの「ヒラヤーチー」という粉物料理に似ていると思いましたが、その幾倍も美味しくて祖母や母に食べさせたいと思いました。ヒラヤーチーも素朴で好きです。

公共交通機関が電車だと教科書から知っていましたが、電車はもちろん線路も踏切も見たことはありませんでした。汽車汽車シュッポシュッポと歌いましたけどね。古~いですね。

初めて踏切を渡った時は感動しました。仕事で出かけた時のことですが、生まれて初めて踏切の前に立ったのです。「これが踏切かぁ」とワクワクしました。踏切が開いて一旦向こう側に渡ったのですが、戻ってもう一度渡るという子どもみたいなことをしました。

かつて春日三球・照代さんの漫才で「地下鉄はどこから入れたのか。それを考えると一晩中寝られない」のフレーズが流行しましたが、実は私は初めて地下鉄に乗って以来そのことを真剣に疑問に思っていながら人に聞けず、仕事で終点まで行った日に「あぁ、そういうことか」と1人ニンマリしたのでした。

ある秋の日に夕日が射す中を黄色い銀杏の葉がヒラヒラと舞い落ちるのを見た瞬間に現国の時間に学んだ与謝野晶子の短歌がリフレインしました。金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に「これですね」と思って立ちすくみました。

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今なら情報とともに映像も見ることができますが私の時代はそうではありませんでした。だからこそ想像力を働かせることができ、感動をいくつも重ねることができました。そう考えると「豊かな時代だったなぁ」と思います。

便利は素晴らしいことで手放しがたいものですが、不便の中で豊かさを知ることも多いものです。