今日の聖書

エレミヤ29章11節~13節 

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ。― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

 

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ブッチャードガーデン

 

在宅介護21 旅立ちの時

小さなハプニングが起きる毎日は時に汗だくになりながらも穏やかなものだった。ある日、姑は車椅子に乗せられてデイサービスから帰って来た。車椅子に乗るようになったことでデイサービスの外出イベントへの参加が増えて楽しそうだった。

そうしてデイサービスを満喫している姑の姿を見ると、最初の頃に姑がデイサービスを嫌がっているからといって諦めなくて良かったと思った。ある意味何もかもが順調だったが、そんな時に想定外な事態を迎えた。

その年の暮れ、姑はいつものように元気にデイサービスに行き、いつもと変りなく帰って来た。翌日からはデイサービスも正月休みだというので送って来たスタッフに「良いお年を。来年もよろくしく」と挨拶をした。そして、その日の夜は穏やかに床に就いたのだが、明け方にベッドから落ちた。驚いたもののとりあえず骨折もなく、他に異常もなかったので一安心した。世の中の殆どは正月休みに入っていた。

その日を境に姑の足腰は更に弱くなり、夫と2人がかりでも支えるのがやっとだった。あぁ、高齢者はこんな風に急変するのか。あまりの急変ぶりにただただ愕然として神様の前に出て祈った。

骨折はしなかったが姑の寝室をリビングに移した。とりあえずリビングにあるソファベッドのほうが低いので万が一再びベッドから落ちるようなことがあってもダメージが小さく、トイレも近いので介助するのも便利だった。そして、念のためベッドの前にはマットレスを敷いた。

移動は大変だったがお気に入りの椅子に座らせると姑はいつもと変わらなかった。ちゃんと食事をして、後はウツラウツラと半分夢の中で過ごした。それでも一日に何度もトイレに行きたいと言うので、その度に夫婦2人で介助するのだが、それがもう四苦八苦だった。

正月休みが終わり夫の仕事が始まって私1人になったら全くのお手上げ状態だった。緊急の策としていつもショートステイでお世話になっている施設に相談して1月6日からしばらく預かって頂くことになったのでその間にその先のことを整えることにした。

 夫の実家は大晦日に一年で一番のご馳走を家族揃って頂く習慣があり、私もそれに倣ってそうしてきた。その時も姑がそういう状態ではあったが大晦日の夜にご馳走を並べたら、姑はいつもより食は細かったものの喜んでくれた。

 元旦の午前、移動は前日と同じで大変だったが笑顔で新年の挨拶をした。移動以外は穏やかな時間が過ぎていったが、午後になって姑の様子がおかしくなり意識を失った。癲癇かと思ったが、少し吐いたのですぐに救急車を呼び、夫が同乗して救急病院に向かった。

 私は入院を予測して夫からの連絡を待っていたが、夕方タクシーで帰って来た。タクシーから家まで夫と運転手が姑を支えて来たが男性2人がかりでもなかなか前に進めず大変そうだった。聞くと検査の結果緊急入院の必要はないということで帰って来たとのこと。何だか腑に落ちなかった。

2日は息子の家族が来て賑やかに姑のところで一緒に食事、姑も嬉しそうに何度も曾孫の名前を聞いたりしていた。それはいつもと変わらない我が家の正月風景だった。

3日はさすがに辛そうだった。それでもトイレに行きたがるので、夫と2人で四苦八苦しながら一日に何度もトレイに連れて行った。ベッドで過ごすのを嫌がるので椅子に座らせたら、時々讃美歌267番「神は我がやぐら」を歌っていた。私はそれを聞きながら姑が苦しみの中で戦っているように思い、祈った。

夕食が済んでベッドに行きたいというので2人がかりで姑を抱き上げたら必死の形相で体を強張らせ、片方の手は私の腕を、もう片方は夫の腕をギュッと掴んでしがみついてきた。思わず「お義母さん、大丈夫ですよ。私たちは大事なお義母さんを落としたりしませんから。」と言うと、ふと力を抜いた。布団をかけ「お休みなさい。」と言って部屋を出ようとする私たちに「ありがとうね。」と言った。それが姑との最後の会話になった。

 翌日4日早朝、姑が痙攣をしているように体をくねらせた。声をかけてももう会話は出来ず、少し吐いて意識を失った。救急車を呼ぶと元旦と同じ救急隊員が来てまた同じ病院に搬送、入院した。そして、意識を回復することなく舅の誕生日の7日に天国へと旅立った。30日に歩けなくなってからあっという間の出来事だった。                                         

告別式は教会で家族と教会の信徒だけの小さな式にした。海外に住む娘が駆けつけてきて彼女がピアノ伴奏をした。親戚の方たちが「孫娘のピアノの音に送られるなんて幸せね。きっと喜んでいるね。」と言っていたが、ピアノ好きな姑のこと案外そうだったかも知れない。

 考えてみるとたった3年間の介護だったが濃密な3年間だった。私自身が聖書のことばと祈りに支えられた3年間でもあった。気が利かない者なので十分ではないにしても私なりに精一杯務めた感があった。穏やかな姑の顔を前に悲しみと寂しさを抑えながら「お義母さん、ありがとうございました。天国でお会いしましょうね。」と声をかけた。96歳、本当によく頑張った!

 

黙示録21章4節

「神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。

以前のものが過ぎ去ったからである。」

 

ヨハネの手紙第一 3章18節

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、

行いと真実をもって愛そうではありませんか。  

                     (在宅介護 完)

 

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今日の聖書

詩篇55篇22節

あなたの重荷を主にゆだねよ。

主があなたをささえてくださる。                                    

主は決して 正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

 

ペテロの手紙第一 5章10節

あらゆる恵みに満ちた神、

すなわち、あなたがたをキリストにあって

永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が

あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、

強くし、不動の者としてくださいます。

 

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在宅介護20 高価で尊い存在

介護3年目に入って姑は内科的には何も問題はなかった。コーヒーや紅茶に大匙山盛り3杯の砂糖を入れ、食欲も旺盛だったが血液検査の結果は毎回基準値内で私よりよっぽど健康だった。ただ、幻視、幻聴が増えた。悪い人が入って来るとか家に火をつけようとしている人がいるとか毎日不安を口にした。そういう時は顔つきが険しくなり安心させようと声をかけても納得しなかったが、祈ってあげると落ち着いた。

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姑の遺品 こういう可愛いのが好きだった。

ある日の夜中に1階から何かが焦げている臭いがしてきた。キッチンの電気は点いておらず、姑がリビングに居たので「何か焦げ臭いですね。」と言うとキョトンとして臭いの元を探し回る私を不思議そうに見ていた。結局その時は分からなかったが、翌朝トースターの中に真っ黒に焦げた物が入っているのを見つけた。何かと思ったら四角く畳まれたティッシュだった。昨夜の臭いの元だ。おそらく食パンのつもりで焼いたのだろう。その日からトースターのコンセントを抜いた。

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先を越されて自分で着替えてしまった朝。 舅のセーターや

普段着を重ねてデイに行く準備万端のつもり。

着替え直すことを納得して貰うには言葉選びが大切。

クリスチャンにとって日曜日は礼拝のある大切な日である。信じる者が共に集まり、共に神様を褒めたたえ、共に同じ聖書のことばに耳を傾ける中で、ある人は慰められ、ある人は思い煩いから解放され、ある人は癒される。霊的満たしを受け取って日常へと戻って行くのである。

 私たち夫婦は私が朝一番の礼拝に行き、入れ替わりで夫が次の礼拝に行って姑を1人にしないようにしていた。そんなある日曜日、私が教会から帰って来て玄関を開けると起きたばかりの姑が寝室の前に居た。私が「おはようございます。教会に行って来ました。」と言うと、姑が突然讃美歌267番を歌った。しかも2番まで。

驚いて「お義母さん、その讃美歌はどこで覚えたのですか」と尋ねると、やはり保養地の近くの教会で覚えたとのことだった。「よく覚えていましたね。」と言うと嬉しそうにニコッと笑って寝室に入って行った。

 私は姑が保養地で教会に行っていたのは子どもの頃だろうと思っていたが、案外大人になってからも行っていたのかも知れない。讃美歌267番は子どもが歌うには難しいからだ。遠い昔にも誰かが姑に福音を伝えていたらしい。そして、半世紀以上が経ってその方(方々?)の知らないところで働きの実を結んだということかと思って感動した。

私はそれを神様が姑を忘れておられない、確かな愛の証しだと受け取った。聖書には「永遠の愛をもってわたしはあなたを愛した。」エレミヤ31:3とあり、「わたしの目にはあなたは高価で尊い。」イザヤ43:4とある。何が出来ようと出来まいと、どんな状態であろうと神様は私たちひとり一人を「高価で尊い」とおっしゃるのだ。ただただ神様に感謝した。

姑はその日を境に讃美歌267番を好んで歌うようになり、私はその歌声を聞く度に姑の信仰の発露だと思った。ちなみに「神は我がやぐら」の歌詞は次の通り。

   1.神はわがやぐら 我が強き盾 苦しめるときの近き助け

    おのが知恵を頼みとせる 黄泉(ヨミ)の長(オサ)ぞ 

    げにおぞましき        

  2.いかに強くとも いかでか頼まん やがては朽つべき 

    人の力 我とともに 戦いたもう 

    イエスきみこそ万軍の主なる あまつ大神

今日の聖書

詩篇36篇5節~9節

主よ あなたの恵みは天にあり

あなたの真実は雲にまで及びます。

あなたの義は、高くそびえる山。

あなたのさばきは、大いなる淵。

主よ あなたは人や獣を救ってくださいます。

神よ あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。

人の子らは 御翼の陰に身を避けます。

彼らは あなたの家の豊かさに満たされ

あなたは 楽しみの流れで潤してくださいます。

いのちの泉はあなたとともにあり、

あなたの光のうちに 私たちは光を見るからです。

 

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機上からの一枚です

 

在宅介護19 奥にある力

ゆるやかにではあったが姑の認知症は進行していった。もともと我が家の玄関はダブルロックで玄関を出たとしても門の鍵があるため徘徊で外に出ることはなかったが、夜中に家の中を徘徊した。そのため階段を上り下りしないようベビーフェンスを取り付けた。しばらくは便利に使っていたチャイムもすぐに使えなくなり、階段を上れない姑が夜中に私を呼ぶのに取った手段は布団たたきで壁をドンドンと叩くことだった。それで随分睡眠を妨げられたが、布団たたきで壁ドンドンとはなかなかの名案だと思った。

 毎日不可解な行動をしたものの姑にはその一つひとつに理由と意味があった。それらのことを知った上で対策を取ったり見守ったりと考えることも為すことも多かったが、それを面倒に思わなかったのは姑が子どものように素直だったからかも知れない。叔母が「姉のように年をとりたいものだ。」と言ったことがあったが本当に姑は良い老い方をしたと思う。

母の認知症が進み、2ヶ月毎に帰省をしなければ母の生活が成り立たなくなった。それに従って姑をショートステイに預けることが多くなったが、1度も行きたくないと言って私を困らせたことはなかった。むしろショートステイの送迎車に乗る前に「あなたに会えないのは寂しいけど、お母さん待っていらっしゃるからね。お母さんによろしくね。」と言って出かけ、帰って来た時は「あぁ、帰って来た。良かった!」と満面の笑顔で私の両手を取って踊らんばかりに喜んだ。そんな姑の言葉に私がどれほど励まされたか知れない。

しかし、好きだったピアノも弾かなくなり、ウツラウツラと過ごす姑に何か楽しみになるものをとネットで探したら可愛い人形を見つけた。おしゃべりが出来て童謡も歌うというので早速注文した。「子どもだまし」と気を悪くするだろうかと少し心配だったが、喜んで受け取って毎日自分の前に座らせて楽しんでいた。「これ可愛いでしょう。歌も歌うのよ。」と教えてくれた。子どものように可愛い姑だったが勿論そんなことばかりではなかった。

 

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夢子ちゃん おしゃべりが上手、80曲の童謡を歌います

ある時、夜中の3時頃にインターホンが鳴った。何事かと思って「どちら様ですか」と出たら「警察です。お宅から不審者が侵入しているとの通報があって来ました。」とのこと。玄関を開けて話を聞いたら通報者は姑だった。警察官は通報があった以上は家の中を確認しなければならないとのことで一通り家の中を確認して帰って行った。警察官が帰った後は安心したらしくすぐに眠りについた姑だったが、私たち夫婦はすっかり目が覚めてしまった。色んなことを忘れたはずの姑が電話を使ったことも自分の住所氏名を言えたということも驚きだった。

私はずっと姑を「お義母さん」と呼んでいたが、夫は子どもが生まれてから「おばあちゃん」と呼ぶようになり、姑もそれを受け入れていた筈だった。ところがある日姑が憮然と「○○は私のことをおばあちゃんと呼ぶが、私はあれの母親であって祖母ではない。」と言った。そこにはかつての聡明な姑が居た。

また海外在住の娘がクリスマス休暇で帰って来た時に姑は大喜びでとても饒舌になった。そして突然娘と私の前で「God save our gracious Queen, Long live our noble Queen, … 」と英語の歌を歌い出した。英語ということにビックリだったが何の歌かと調べたらイギリスの国歌だった。遥か遥か昔に覚えた英語の歌を孫娘の帰国が刺激になったのか淀みなく歌い通したのだ。それもまた驚きだった。

介護を通してそれまで知らなかった姑の一面に出会うことが多かった。それは驚きの時もあれば感動の時もあった。その私の思いを一つの詩と聖書のことばで伝えたい。

 

         草原の輝き

               ウイリアムワーズワース

      草原が輝いていた時 花が美しく咲いていた時

     それを取りもどすことは もうできないけれど

     私たちは嘆かないことにしよう

     そして、その奥にまだ残っている

     命の力を見出すことにしようではないか

 

    エペソ人への手紙1章18節~19節

     あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、

     神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、

     聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、

     また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く

     神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、

        知ることができますように。

 

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三重県 なばなの里

 

今日の聖書

詩篇107篇4節~9節

彼らは荒野や荒れ地をさまよい 人が住む町への道を見出せなかった。

飢えと渇きによって 彼らのたましいは衰え果てた。

この苦しみのときに 彼らが主に向かって叫ぶと 主は彼らを苦悩から救い出された。

彼らをまっすぐな道に導き 人が住む町に向かわせた。

主に感謝せよ。その恵みのゆえに。 人の子らへの奇しいみわざのゆえに。

まことに主は 渇いたたましいを満ちたらせ 飢えたたましいを良いもので満たされる。

 

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雪道を滑りそうになりながらここに。