しあわせなら手をたたこう
BS1スペシャル「しあわせなら手をたたこう 名曲誕生の物語」を観ました。九ちゃんが歌って大流行し、私も子どもの頃、いえ大人になってからもよく歌いました。歌っている時はいつも周りに笑顔があって今も好きな歌です。
この歌は九ちゃんが歌って大ヒットし、やがて日本国内にとどまらず海外の多くの国々まで広まって愛唱され続けています。長いこと作者不詳とされていましたが、実は早稲田大学大学院生だった木村利人さん(早稲田大学名誉教授)が作った歌だったのです。
その歌が生まれた背景には木村青年がボランティアとしてフィリピンへ行った時の出会いがありました。第二次世界大戦時に日本軍がそこで何をしたのか、戦後10数年経ってなおフィリピンの人々の傷は深く、知らなかったでは済まされない現実を突きつけられた木村青年。けれどその苦悶を越えて現地の若者との友情が生まれ、やがて名曲誕生に至りました。
溝口淳平さん主演のドラマ「しあわせなら手をたたこう 誕生物語」を感動しながら観ているうちに私はある1人の女性のことを思い出していました。
私がまだ幼稚園児の頃に教会で私たち幼児を教えてくれていたフィリピンから来た女性宣教師、今では名前も思い出せません。カタコトの日本語で教えてくれたクリスマスの歌だけを今もしっかり覚えています。
その宣教師が私たち幼児を教えていたのは木村青年がフィリピンに行く何年か前のことです。まだまだ戦争の傷が生々しかっただろう時にその方がどのような思いをもって沖縄に来られたのか知る由もありません。
けれど、番組を観ながらあの宣教師もおそらく大きな痛みを越えて使命感を持って来られていたのだろうと、あらためて宣教師の愛を思い、感謝とともに涙が溢れたのでした。