ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

すごく違っても一緒に喜べる

今日は起床した後に仕事部屋に入ったら暖房が入れっぱなしになっていました。昨夜遅くに仕事を終えて切ったつもりですがリモコンの操作ミスなのか自分の勘違いだったのか…。自分のミスの気づきで一日の始まりか…と思いましたが、すぐに「終わったこと。」と気持ちを切り替えました。

「夫がそうした場合はどうするか?」ですって?はい、「消し忘れていましたよ。」とは言いますが、それだけのことです。それが私たち夫婦の流儀で、介護を経験してからは「あれ、ワタシ大丈夫かしら?」と言い、互いをフォローした後で笑います。

その程度のことで凹むことはありませんが、仮にもっと大きなミスをして責任を感じて凹んだとしても相手を責め立てたりはしません。

そうして日々平和に過ごしていますが、実は夫と私は好みも志向も、こんなに違うかと思うくらい違います。食べ物の嗜好も違いますし共通する趣味もありません。若い時からずっとそうです。

若い頃は結構「何故?」と悩んだこともあります。修繕や大工仕事が苦手な夫にそうとは知らずに家具や電気器具が不具合だから直して欲しいと頼んだもののなかなか手をつけてくれないので苛立った時もありました。

そういうことは夫にもあったと思います。貧しい家で育ちながら祖母から「安物買いの銭失い。」と育てられた私と兄弟の中でも安い物を買うのが大好きな母親の影響を一番受けた夫。

仕事の関係で商業施設が大関心事の夫ですが、私はそのようなものに全く関心がありません。「東京にこんな凄い商業施設が出来た。大阪に…。」と目を輝かせて話してくれても一応聞きはしますが「フーン。」で終わります。

感性から何から違いを数え上げたらキリがない程です。けれど、一つ共通するものがあって、それは共にクリスチャンだということです。驚くほど違う2人ですが聖書を基準に物事を考えるので、まずお互いが愛し合うべき存在であること、受け入れるべき相手だということが分かっています。

「違いをあげつらって相手を批難するよりも相手の良いところに目を留めよう。行動の背景に何があるかをよく考えよう。何を大事にすべきかを考えていこう。」という思いがあります。

どうしても気がおさまらない時は祈ります。祈っている中で自分が取り扱いを受けて、相手の非ばかりに目が向いていたけれど自分にはもっと大きな問題があることに気づかされて悔い改めることもあれば、怒りや苛立ちがスーッと引いていくこともあります。

実は結婚が決まって帰省した時に実家に出入りしていたクリーニング屋さん(霊能者)から「結婚するんだってね。でも、良くないよ。あなたのお母さんのように失敗すると出ている。」と言われました。

母は離婚、祖母は若くして夫と生別していますので私自身ずっと「自分は結婚しても母や祖母の二の舞になるのがオチ。幸せにはなれないに違いない。」と思っていました。そんな私でしたが霊能者であるクリーニング屋さんの言葉には全く動じませんでした。その時すでに聖書によって強められていたからです。

結婚して42年になりますが争いのない平和な日々を過ごしています。あの時、すごく確信を持って言い放ったクリーニング屋さんの言葉に揺り動かされなくて良かったです。

 つい今しがた王将戦が終わり、夫が応援している藤井竜王が勝って史上最年少の五冠を達成しました。「やったー!スゴイ!」と大喜びの夫のそばで私も喜びを共にしています。

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