ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

「心の奥の愛の声」

意外にも(?)私が若い頃にはかなり自己否定で悩みました。誰かが私の言葉で傷ついたり気を悪くしたようだと察するだけで心に咎めを感じて自分を責めていました。いつも相手を責めるのでなく自分を責めていたように思います。

そこを抜け出せたので今の私がある訳ですが、今日は若い頃の私のように悩んでいる方にヘンリ・ナウウェンの言葉を紹介します。

 

「私たちは人間関係で苦労すると、すぐに自分を責めたくなる。だが、自分を責めるのは、謙虚だからではない。それは自分の善性や美しさを無視したり否定したりするという、自己否定の1つの形なのだ。たとえ友情が開花しなくても、ある言葉を受け入れてもらえなくても、愛のサインを喜んでもらえなくても、自分のせいにしてはいけない。それは間違いでもあれば、有害でもある。… 自己否定はどんな形のものでも避けなくてはいけない。自分の限界は認識すべきだが、自分独自の才能には自信をもって、平等な人間同士の一員として生きるのだ。そうすれば、しつこくつきまとう欠乏感からも解放されて、誠実な愛情と友情の交換ができるようになる」

「堀り割りをめぐらした中世の城を思い浮かべてみよう。城内への唯一の出入口は、跳ね橋だけである。城主はその橋をいつ引き上げるか、いつ下ろすかを決める権限を持たなくてはならない。… 自分の跳ね橋は、自分で管理しなければならない。橋を引き上げておいて、一人きりになるとか親しい仲の人々だけと過ごす時もあるだろう。自分をだれもが勝手に出入りできる公有地になど、決してしてはいけない。出入りしたがる人間はだれにでも出入りさせてやれば、自分を寛大だと思えるかも知れないが、それではたちまち自分の魂を失う結果になる。跳ね橋を管理する権利は自分のものだと主張してこそ、心に新たな喜びと安らぎを見いだし、その喜びと安らぎを人びとと分かち合うことができるのだ。」

  ヘンリ・ナウウェン著「心の奥の愛の声」より

ヘンリ・ナウエン(ナウエン)(Henri Jozef Machiel Nouwen、1932年1月24日 - 1996年9月21日)は、オランダ出身のカトリックの司祭であり、元ハーバード大学の教授。スピリチュアリティに関する著作を数多く残した著作家、研究者としても著名である。(Wikipedia)

 

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