ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

どうでも良いことですが…

朝から曇り空の今日、孫たちが遊びに来ることになっています。彼女たちが来る前に家事を済まそうと少しバタバタし、各部屋に掃除機をかけ、フローリングにモップをかけたら汗だくになって目まで汗が入ってきました。まだまだ暑いですね。

全てし終わって孫たちが来るまでの1時間、涼んで待ちながらエネルギーチャージです。

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前回はこのゲームを持って来ました。意味が分からないまま付き合いました。今日は何を持って来るのか。

今日は一緒に焼きそばとカキ氷を作る予定です。

 

母(95歳)がコロナに罹って

日中の残暑はまだ厳しいですが朝夕は秋の気配を感じるこの頃です。5月以来ブログから離れてしまい、3ヶ月ぶりの更新となりました。お休みしている間も気にかけてお声をかけて下さった方、訪問して下さった方、ありがとうございました。ボチボチ再開しますので今後ともよろしくお願いいたします。

 

「母がコロナ感染、そして驚きの回復」

6月に母が入所している特養でクラスターが発生しました。その直前に面会が可能になったという案内を貰ったので航空券とホテルを予約した後で念には念をと特養に確認の電話をしました。すると、「申し訳ありません。ホームにコロナ感染者が出て急遽面会不可になりました。」とのことで帰省を断念したのでした。

その時点では母は感染しておらず元気とのことでしたが、それからしばらく経って母が感染して「少し酸素が低下しているので一ℓの酸素を流しても良いですか。」と特養の看護師から電話がありました。軽症なので医師の指示を受けながら施設内で処置をしているとのことでした。

しかし、それから数日後に母は救急搬送され、救急医から電話で説明を受けた際に「感染直後でしたら薬が効いたのですが、感染して10日以上経っているので薬が使えず、状態からして年齢も年齢ですし回復は望めません。」と言われ、その時初めて母が感染したと連絡を受けた時は感染後既に1週間以上経っていたことが分かったのでした。

母は感染後に経口摂食が出来なくなり点滴で栄養補給をしていることは聞いていましたが、入院時には低酸素だけでなく脱水症になっていて意識が朦朧としているとのことでした。医師が説明している中で「感染後10日経っているのでコロナウイルスは無いと思う。」と言ったので即座に「それでは面会が可能ですか?」と尋ねたら「いや、面会は出来ません。」ということでした。

それでも即帰省することにして航空券の購入やホテルの手配などバタバタしていたらコロナ病棟の看護師からアメニティのこと等で電話があったので「今から沖縄に向かう。」と話すと「沖縄は今大変な感染状況ですよ。それでも来られるのですか?」と面食らった様子でした。

それでも私が帰省すると言うと「お母さまとはどのくらい会ってないですか?」と尋ねられたので「一年くらいです。」と言うと、1年も会わないまま最後の別れも出来ないかもと心を痛めたのか「分かりました。面会が出来るよう私から主治医にプッシュしてみます。面会の確約は出来ませんがプッシュしてみますね。」と言ってくれ、思いがけない親切な言葉に心から感謝しました。

救急医から直接説明を受けていた兄嫁からも絶望的な言葉しか聞けませんでしたが、私は現実を受け止める覚悟はありつつも望みを失ってはいませんでした。

病棟の看護師から「PCR検査を受けて陰性であれば直接ではなく端末での面会が出来ます。」と連絡を受けたので地元のPCR検査センターに行きました。県外の人は五千円の検査料金がかかると言われましたが入院中の母に面会するためだと話すと無料にしてくれました。

結果が陰性だったので面会が許されました。面会はコロナ病棟でiPadに映る母の姿を見せて頂く形でした。点滴と酸素吸入をされてベッドに横になっているものの1年ぶりに見る母の姿でした。

案内してくれた看護師に「すみません、ここでお祈りしても良いですか?」と尋ねると「どうぞ、どうぞ。」と言ってくれたので、母の姿を見ながら「御心でしたら母を癒やして下さい。」と祈りました。

私の一番の願いであった母の近くで母のために祈ることが出来たことで得心がいった私は名古屋に戻ることにしました。兄嫁は私を引き留めましたが「私が沖縄に居ても母に会える訳でなし、何もすることはないのにただ母がこと切れるのを待っているかのような、そんなことはしたくない。」と言いました。

とは言っても兄嫁の不安も分かるので葬儀社に連絡を取ったり、私がやるべき手立てを済ませて兄嫁にその説明をして沖縄を後にしました。

3週間ほどして母は無事に回復、退院しました。退院には兄嫁と特養の方が立ち会い、母は病院からそのまま特養に戻りました。「入院時はストレッチャーに朦朧と横になっていたのに退院の時は目に力が戻り車椅子に乗っていて、救急医もああ言っていたし無理だと思っていたけど奇跡だね。」と兄嫁は喜んでいました。

退院後の母は介助が必要なものの経口摂食が出来るようになり以前のように元気にしているとのことです。日ごろ私がお世話になっている医師が母のことを聞いて「へぇ、そんな話は聞いたことがない。すごいね、奇跡だね。」と驚いていました。

母は9月で96歳になります。

 

出エジプト記15章26節

わたしは主、あなたをいやす者である。

 

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朽ちない種を

石川啄木好きだった私の兄(長兄)の本棚には啄木の短歌全集が並んでいて、部屋のあちこちに啄木の短歌が貼ってありました。

子ども時代に兄の部屋で啄木の短歌を目にして自然に暗記した私は故郷を離れてから色んなシーンで啄木の短歌を諳んじていたものです。

世の中には座右の銘を支えとしている方が多いかと思いますが、私は短歌や詩や偉人の名言など結構覚えました。

若い時に覚えたものは50年以上の時を経た今もしっかり覚えているものですが、この数十年は聖書のことばが私の慰めであり、力のもとになっています。

聖書のことばは朽ちない種と言われています。まったく暗記した覚えもないのに何時か何処かで目にした「ことば」が人生のどん底で心に浮かび上がってきてピンチを脱したという話が私の周りには溢れています。

私の友人に絶望に打ちのめされて目の前が一瞬のうちにセピア色になったけれど、以前お見舞いに貰ったハガキに書かれていた聖書のことばを思い出し、瞬時に色が戻ると同時に勇気と希望が与えられ、そのあと全てシャットダウンされていた道が開けた経験をした人がいます。

当ブログで注釈抜きで「聖書のことば=いのちのことば」を載せるのはもしや誰かの助けになればという思いからです。

皆様に主の祝福が豊かにありますように。

コリント人への手紙 第一 10章13節

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

ローマ人への手紙 8章28節

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

詩篇 145篇14節

主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。

詩篇 32篇8節

わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。"

イザヤ書 30章21節

あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。

詩篇 145篇17~20節

主はご自分のすべての道において正しく、またすべてのみわざにおいて恵み深い。
主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。
また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。
すべて主を愛する者は主が守られる。

ペテロの手紙 第一 1章23~25節

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。

 

 




喜びの連鎖 愛は途絶えず

母の日の8日と昨日と母たちの喜びの話を聞くことができました。嬉しい話、喜びの話は聞く側にも喜びをもたらしてくれますね。

8日、礼拝を終えて会堂を出ようとする私に1人の方が声をかけてきました。彼女たち夫婦には2人の息子が居て次男は大学を出て社会人として巣立ったけれど、長男は長年家に引き籠っていると聞いたのは昨年そのご夫婦を訪問した時のことでした。

壊れた親子関係の実情を聞いて私なりにアドバイスをし、ご夫婦と一緒に祈りました。その後も何度か礼拝後にご主人の仕事のことやご家族のことを一緒に祈りました。

そのようなことがあって彼女はこの春からずっと私に報告したいと願いながら控えめな性格なので他の方を押し分けてまで私に声をかけることが出来ないままこの日曜日になったのでした。

彼女は「長男が突然大学に行くと言い出して勉強をし出し、受験しました。合格はとても無理と思っていたのに驚くことに合格しまして。信じられない思いで何度も何度も合格発表を見返して…。今は順調に大学に通っていて、私の生活も仕事で帰りの遅い夫を待ってから床に就き、朝は早くから起きて息子を送り出す生活です。自分の仕事もあるし体力的にキツイのですが、嬉しくて嬉しくて。それをずっと先生に報告したかった…。」と涙を流しながら話してくれました。

その涙のなんと美しかったこと。その後、彼女の夫が「実は次男から今日帰って来ると連絡がありました。彼とは断絶したままもう会うことはないかと思っていたのですが、嬉しいです。」と顔をほころばせて話してくれました。

母親との関係は悪くなかったけれど父親との関係が壊れて家に寄り付かなくなっていた次男もまた回復をしていたのです。あまりに喜ばしくて駐車場で立ったまま祝福と感謝を祈りました。

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そして昨日、2年近く前からうちの教会に来ておられる方が満面の笑顔で家族の話をしてくれました。

息子さんが一緒に住んでおられて関係があまり良くないらしいと察してはいましたが、これまで子どもの話になると口ごもる彼女に敢えて私から尋ねることはしなかったので息子さんが2人いるということを昨日初めて知りました。

その彼女が「昨日の母の日に家を出た息子が帰って来て子ども2人で母の日を盛大に祝ってくれました。そんな日が来るなんて夢のようです。この1年あまり試練続きで、ひたすら祈り、聖書を学んだことで聖書にある状況に関わらない平安を経験してきましたが、壊れていたものが回復するという喜びをも頂いて感謝です。」と話してくれました。

親として子を深く愛しているつもりでも届かない時があります。どんなに心を注いでも何をしても悪くなるばかりの時すらあるのです。

そのような親子を何組も見てきました。あんなに誠実で穏やかで良いご両親なのに何がどうなって親子関係が壊れたのかと不思議に思うケースも見てきました。

それを思う度に自分たち親子が平和な関係なのは決して自分たちが親として良かったからではないと遜らされたものです。

今回どちらのご両親も心騒ぐことが多い中で苛立って感情的になるのでなく、愛をもって祈りながら静かに子どもを見守り続けてきました。すごい忍耐だと敬服するばかりです。そして、私も彼女たちから喜びのお裾分けを頂いてホッコリ、感謝しています。

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詩篇 102篇19~20節

主はその聖なるいと高き所から見おろし、天から地の上に目を注がれました。
捕らわれ人のうめきを聞き、死に定められた者を解き放つために。

詩篇 147篇3節

主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。


深い“いつくしみ” 今日の聖書

マタイの福音書 12章20節

彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。

詩篇 145篇9節

主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。

 



メリハリがあって良し

今年のG Wは天気に恵まれました。ロシアによるウクライナ侵攻が止まらず早く停戦をと祈る中、日本の安全は大丈夫なのか、物価の値上がりはどこまで続くのか、気にかけながらも行楽地は賑わいを見せ、少しずつコロナ以前の日常を取り戻しつつあるように見えます。

我が家でもコロナ関連やウクライナ問題、値上げラッシュなど結構話題になりました。それでも和合の力は大きくて常に笑顔がありました。

昨日の記事に書きましたが娘はおもしろいこと、笑えることが大好きで自分の周りのちょっとした事から楽しい笑いを見つける人です。それを友人たちにシェアして一緒に楽しんでいるわけですが、それが娘の生活や人間関係を潤していると私は見ています。

今回も爆笑記事をネットで見つけては私たちに「これこれ。」と教えてくれるので夫も私も随分笑わせて貰いました。普段はマメに連絡を取り合う親子ではないので、それこそ一緒にいればこそですね。

娘が東京に戻って再び夫婦二人の生活になった我が家は静かなものです。夫は「二人になっちゃった。またよろしく。」と笑っていましたが、娘が残してくれた笑いの余韻があって満たされた思いでいます。

詩篇133篇1節  見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。

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いったい誰に似たのやら

沖縄は梅雨入りしていますが名古屋は好天続き。東北のほうではまだ桜が楽しめるとかで日本も広いですね。

今日夫は出勤、娘は休みをもらったということでノンビリゆっくり過ごしています。

仕事が忙しくてしばらく休んでいた執筆を最近再開したとか。今回はファンタジーものだそうで名古屋でも書き続けています。

前作が出版されたのは自分の力量によるものではないと本人は割り切っていて、出版を目標にしているというより趣味で書いているようです。小説を書く作業は疲れそうですが趣味なので疲れないのでしょうか。

細かいことにこだわらず適度に脱力するのは彼女の小さい頃からです。人との距離感の取り方が絶妙で友人が多く、私たち夫婦は人見知りなので一体誰に似たのやらと思うところからして両親に起因しない娘の特性といったところでしょうか。

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おもしろ好き、おふざけ好きで友人に貰った「おてもやん顏パック」をした顔写真を娘のFacebookで見た時は大笑いしつつ内心「やめて、婚期が…」とアセアセ。

それでも親としては本人に何も言わないけれど、平気でそういうことをする娘は30代、目下シングルライフを謳歌中。