ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

野に咲く花のように

ダカーポが歌った「裸の大将」の主題歌、「野に咲く花のように」は今も多くの人に愛されている歌ですね。私も好きな歌です。その歌が生まれる遥か昔、私がまだ小学校1、2年生の頃にほぼ同じフレーズで「野に咲く小さな花のように」と語ってくれた教会学校の先生がいました。

その先生は当時まだ20代前半の若者でしたので私たち兄妹は彼のことを「ヒロアキ兄さん」と呼んで慕っていました。私たち家族だけではなく、教会の老人も幼子も皆がヒロアキ兄さんを慕っていました。

 ヒロアキ兄さんは散歩が大好きで、毎日朝早くに野や林を散策していました。自然の豊かさ、美しさ、力強さを観る時に、それら全てを創造された神様の素晴らしさを感じると話していました。

そのヒロアキ兄さんがある時、教会学校の子どもたちを散歩に連れ出してこんなことを話してくれました。

「先日の朝、ここを歩いている時に踏みつけられて弱っているこのスミレの花を見つけたんだ。その時はあぁ可哀想に。もうダメだなと思ったんだ。それでも翌日の朝またここに来てみたら、もうダメだと思った花が頭をもたげてしっかり咲いていた。その姿に僕は感動したよ。

こんな小さな花の中にすごい生命の力があるのに感動した。君たちがこれから成長していく中で苦しいこともあると思う。ペチャンコにされるようなこともあると思うけど、忘れないでほしい。

この小さな花の中に生命の力を与えて下さっている神様は君たちの中にも素晴らしい力を与えて下さっている。苦しい時にはこの小さな花の話を思い出し、自分の中にもその力があることを信じて負けずに立ち上がって下さい。」

残念ながらヒロアキ兄さんは私が小学校6年生の時に天に召されました。当時の牧師が講壇から「ヒロアキ君は短い人生を全力疾走で走り切った。」と語っておられました。

 

大人の皆さんが口々に「ヒロアキさんはイエス様のような人だった。」と言うのを聞きながら、私はヒロアキ兄さんから受けたイエス様のような愛と小さな花の話を決して忘れないと決意しました。

ちょうどその頃から 我が家は荒れて苦しい時が続き、私の中高時代は精神的にとても辛い時代でした。壊れかけた家族を修復したくとも相談相手はおらず、問題解決の術がない。

思春期の真っただ中で揺れる私を支えたのはヒロアキ兄さんの「小さな花」の話でした。私にとって生涯忘れ得ない生きた物語です。

 

「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」マタイ6:30 

 

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🌈間違えて削除したものを再掲しました。(^人^) 🕊