ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

苦しみを知ったからこそ

コロナ禍が落ち着いているからでしょうか、今日は久しぶりに大勢の方が礼拝に出席していました。今日の礼拝司会者は嫁のカナちゃん、メッセンジャーは私で嫁姑コンビの礼拝となりました。

司会をしているカナちゃんの歌声を聞きながらあらためて感謝の思いが込みあげてきました。

2年半前、彼女は30代半ばにして脳梗塞で倒れました。連絡を受けて病院に駆けつけると歩くことはおろか話すこともできないカナちゃんがベッドに横たわっていました。医師からは脳がひどくダメージを受けていて重篤な状態だと告げられました。

心臓に生まれながら孔が開いていて、そこから脳まで血栓が飛んだのが原因だということでした。後日息子から聞いた話ですが、その状況の中で息子とカナちゃんは自分たちがそれまでどんなに感謝のない生活をしていたかと気づかされたのだそうです。

いえ、感謝をしていなかった訳ではないものの感謝の足りない者だったと思ったというのです。直面している状況が状況だからこその気づきだったのでしょう。

カナちゃんが話すことも出来ない状態でありながら2人はその日から毎日心を合わせて生かされたことに感謝し、医師や看護師に感謝し、神様を褒め称えたそうです。

遠距離介護をしている私に出来るだけ負担をかけないように(かけすぎないように)と息子は家事と育児を頑張っていましたが、そんな中で嘆くのでも不平を言うのでもなく2人して感謝をささげていたのです。

驚くことにカナちゃんはみるみる回復して普通に歩けるようになり、話せるようなって3ヶ月も経たずに退院しました。事情を知らない人が見ると脳梗塞で倒れた人とは気づかないほどに回復しました。

とはいえ実際のところは今も不具合はあります。「脳のダメージが大きかったので不具合は仕方がない。」と医師も言います。

得意だった手芸など目を酷使することは出来なくなりましたが、今はNPOで仕事をしています。もともとSEだったので教会関連のホームページを作ったり今日のように司会にも立っています。

そもそも歌えるということが普通ではなく奇跡の結果です。この素晴らしい恵みに感謝せずにはいられません。

詩篇147篇3節

主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。

詩篇28篇7節

主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。

f:id:yururi3ptl:20211117223911j:image