ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

今日の光景から

各地で 最強寒波の影響が出ていると報じられていますが、当地では雪は降らなかったものの風が冷たく寒い日でした。

今日は午後から教会の大掃除があり久しぶりに各世代大勢が集まって手分けをして掃除をしました。

コロナ禍でしばらく顔を合わせていなかった人も一緒にワイワイガヤガヤ、共同作業をして嬉しいひとときでした。

特に子ども達はお友だちとキャッキャととても楽しそうでした。お友だちが一緒だと掃除も遊びの延長なんですね。

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かつて年末の家族揃っての大掃除は日本の風物詩だったと思いますが、核家族化してからはそれも珍しい光景になったように思います。

家族が1つのことを協力して成し遂げる…力仕事や体力仕事、各所のすす払いや汚れ落とし、高い所、狭い所、それぞれに手分けしての掃除は休憩時間を含めて家族のチームワークを発揮する機会です。

皆が時間の都合をつけなければならなかったり、それなりに面倒と言えば面倒なことはありますが、その少しの努力あるいは忍耐が家族にとって有益になるのだと思います。なぜなら良いコミュニケーションも家族の絆の深まりも何もしないで出来上がるものではなく、お互いの僅かな努力が結ぶ実だと思うからです。

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今日は子ども、youth、私のような高齢者が協力しながら掃除をする光景に、祖母を筆頭に兄たちと、一家うち揃って掃除をしたありし日のことを思い出し、ほんの瞬間でしたがノスタルジックに浸って心が温かくなりました。

コロナ禍による影響は今なおあるとはいえ、そのような中でも多くの方が心豊かに暮らしていきたいと思っているのではないでしょうか。その鍵は案外と大層なことではなく、人と人との繋がりであり愛の絆にあると思います。

とはいえ愛は1人で完結するものではありません。若い頃の私のように故郷を遠く離れて誰一人知り合いのいない環境の中で孤独の中に居るとかつて愛された記憶を失うことがあり、誰にも愛されてはいないとしか思えない時があるかも知れません。

世界に誰一人愛が要らない人はいませんし、誰一人愛されていない人はいないにも関わらず、「自分は愛されていない」そんな偽りの思いに苛まされることだってあるでしょう。

しかし、人はみな愛される存在で愛されるために生まれた存在です。孤独の底にいる方がそのことを信じて何処かで誰かと繋がっていかれますようにと願い、祈っています。

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コロサイ人への手紙3章14節

これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。