ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

ちゃんと見分けているかな?

人間の五感は目で見ることは出来ないのに鍛えて研ぎ澄ませることが出来るのは面白くもあり興味深くもあります。

ところで、私の社会人としてのスタートは日本で知らぬ人はいないであろう会社の愛知県支社からでした。

CMで見て少しは分かっているつもりでしたが、想像以上に派手な職場に田舎娘の私はビックリの連続でしだが、そんな私を気にかけてくれた直属の上司(女性)が毎日ランチに誘ってくれました。

ランチは大抵その上司の奢りで、ランチの後はブランドショップやデパートに行ってウインドショッピング(最近聞かないですね)をしました。その時にいつも言われたのが「高価な物とそうでない物を見分けられるようになりなさい。」ということでした。

1年も経たないうちに少し見る目が養われ、目だけではなく香水もすれ違う人がどのブランドの何を使っているのかがある程度は分かるほど嗅覚も磨かれました。(さすがに今はダメですが。)見分ける力は鍛えられるという良い体験でした。

話は違って、夫の実家を仕舞う時には鑑定士や古道具屋を呼んで実家にある物を見て貰いました。実は来て貰う前に可燃、不燃、粗大と大量のゴミを捨てたのですが、それでも先祖代々からのものが山ほどありました。

鑑定士は1人ではなく、大手会社の鑑定士と個人業の鑑定士に来て貰いましたが、鑑定士によって興味や価値観が異なることを知りました。お宝かと思ったら期待外れが多かったのですが、中にはゴミだと思ったものが意外に高いのもありました。

夫の祖父母も両親も筆まめで物持ちが良い人たちでしたので物が多いだけではなく手紙も大量に保管されていましたが、私は明治大正時代の手紙類を取っていても仕方がないと思って可燃ゴミで捨てました。

たまたま個人業の鑑定士と棚の中の物を引っ張り出した時に手紙類が出てきたので可燃ゴミ袋に入れようとしたら「買い取ります。」と言われました。

「えーっ、そうとは知らずに山のように捨てたのですが。」と言うと「勿体ない。古い手紙類でも価値がある紙、切手があるんですよ。」と残念がられ、「見る目がなければこういうことになるか。」と思ったのでした。

マメな夫の両親は使用済み切手も大量に保管してあったので切手は今も未使用、使用済み切手とも処分せずに取ってあります。価値があるのか無いのかは分かりませんが、落ち着いてから処分しようと思っていたら持ち越しになってしまいました。          

                    記念ハガキ

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f:id:yururi3ptl:20220216180339j:plain 使用済み切手の一部

人生は選択の連続だといいます。物を見分けることも大切ですが、目には見えなくても真に見分けなければならないものもあります。しっかりと見分けて生きたいものです。

 

テサロニケ人への手紙第一 5章21節

すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。


ピリピ人への手紙 1章9節~10節

私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。