ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

身体のメンテナンス

今日は2ヶ月に一度の定期検診の日でした。私の健康に問題がある訳ではありませんが、15年前にあっという間に私より2歳上の友人が天に召されたことをきっかけに定期的に受診しています。

しばらく不調が続いていた友人が病院受診をしたのが11月に入ってからで召されたのが翌年1月末のことでしたので、ご家族にとってはもちろんのこと私にとっても衝撃でした。彼女はもともと私のご近所さんで、知り合った当初はクリスチャンではありませんでした。

積極的な彼女は私が家で開いていたクリスチャンの集まりに「お昼食べに行っていい?毎回私の手料理を振る舞っていました。といった形で顔を出すようになり、そのうちクリスチャンになりました。

明るいけれど夫への不平不満がいっぱいでよく愚痴も言っていましたが、クリスチャンになってからは自然に話す内容や言葉が変わっていきました。私が知っている中でも彼女は価値観や生き方が劇的に変えられた1人です。

病の中にあっても笑顔が絶えなかった彼女はとりわけ毎日仕事帰りにお見舞いに寄る夫のことを気遣っていました。夫婦として大きな試練を通った2人でしたので、そこまで関係回復したことそのものが実は驚くべきことでした。

私たち夫婦がお見舞いに行った時のこと、ちょうど料理上手の夫の手料理をご家族そろって堪能した後で皆ニコニコでした。しばらく話をした後でご家族4人と私たち夫婦で手を取り合って祈りました。

祈りが終わった時にクリスチャンではない彼女の夫も「アーメン」と言い、途端に彼女が讃美歌を歌いながら踊り出し、皆にも踊りを勧めたので歓談室中に笑い声が満ちました。

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明るくて面倒見の良い彼女には友人が多く、あまりに沢山の方が見舞いに来るため体力が持たなくなった彼女から「家族以外の面会はゆるりさんだけにしてほしい」と連絡がきたほどでした。

死の1ケ月ほど前、彼女を見舞うと腹水でパンパンに膨れたお腹を触らせながら「スゴイでしょう。キツイのよね」と言いつつも笑顔でした。彼女を訪ねる度に苦しい病魔と闘いながらも揺るがされない本物の信仰者の姿を目の当たりにしました。

彼女から私への最後のメールには「主人をよろしくお願いします」とありました。自分はもうすぐ天国に行くけれど、いずれの日か夫と天国で再会したいという切なる願いがそこにありました。

その夫は闘病中の彼女の愛と強さに心打たれて彼女が召された後で「妻をそこまで変えたのは何かを知りたい。どうしてあの状況で穏やかで愛でいっぱいで居られたのか知りたい」と教会に来るようになり、間もなく「彼女の愛と喜びがどこから来ていたのか分かった」と言って洗礼を受け、熱心なクリスチャンになりました。

彼女の告別式は私が執り行いましたが式を終えた途端、友を送った悲しみと寂しさが抑えきれずに慟哭しました。そして若い時から軟弱な体でありながら健康に無頓着だった私は彼女が召されたことをきっかけに自分の健康を顧みる思いが与えられました。

その後私は信頼して相談のできる医師を熱心に探してM医師に出会いました。以来ずっと私のかかりつけ医として体のことだけではなく、家族や介護のことなど色んなことを話してきました。

彼女のことがなければ起こさなかったはずのアクションを起こして出会った先生なので彼女が残してくれた祝福の1つだと思っています。

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今日の3時のおやつは日本茶と大福(中は北海道産の生クリーム、上には糸のように細くした紫イモ)昨日夫が仕事帰りに買ってきたものです。甘さ抑えめで美味しかったですよ。