うわべでは分からないことが…
私がずっとずっと若い頃の話です。今は亡き方ですが私には大変苦手な女性がいました。気に入らないことがあると怒りにまかせて誰彼となく非難し、攻撃する人でした。
新しい友人ができてもすぐに喧嘩別れをして、相手の方を悪者呼ばわりするので私は「何て気が強い人だろう。どうしたらあのように自己本位に考えられるのだろう。」と思っていました。
ある時、海外からゲストで来られた牧師が彼女に乞われて祈ろうと手を置きました。その牧師は祈る前に彼女に「あなたは大変傷ついています。あまりに傷ついたために恐れでいっぱいですね。けれど、あなたを愛しておられる神様が傷ついたあなたの心を癒やしてくださいますよ。」と滔々と語りかけ、彼女は身を震わせて泣いていました。
その長い語りかけを聞きながら私もまた心が震えました。表面的にしか物事を見られない人間の見方と違って、神さまの見方は何て愛に満ちておられるのだろうと感動しました。
強くて自己本位と思った彼女の言動は自己防衛のためだったのか、自分は何て一方的な物の見方で彼女を裁いていたことかと悔い改めました。
それから間もなく彼女は遠くに引っ越して行かれて会う機会がないまま召されてしまいました。あの祈りの時は私にとって彼女に対する思いが変えられた時であり忘れることのできない大切な学びを受け取った時でもあります。
第一サムエル記16章7節
人はうわべを見るが、主は心を見る。
同じコーヒーでも器によって味わいが違うとか…。