ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

今日という日

2022年1月7日、七草粥の日。今日のニュースでは各地での雪による事故やトラブルが繰り返し報じられました。雪はきれいですがアイスバーンは怖いですね。

1月7日は舅の誕生日でした。舅が亡くなったのは1997年12月20日、日中は仕事の傍ら年賀状を書いて元気にしていましたが夜中に心筋梗塞を起こしてあっという間の別れになりました。

明けて1月7日には80歳になるところでしたので「祝い事は前倒しでも良いのだから1月7日になどと考えずに前倒しで傘寿を祝えば良かった。」と言って義兄がとても後悔していたと姑から何度も聞かされました。

ある時何を思ったのか姑が私に「ゆるりさん、偶像って何ですか?」と尋ねてきたので「神ではないものを神として崇め、拠り頼む時それが偶像になるんですよ。」と答えたら姑が「そうすると私は夫を頼りとして生きてきたので夫が私の偶像だったわ。困った時はいつでも夫に頼めば何とかしてくれると思っていたし、実際何とかしてくれたので神さまのように頼っていた。」と寂しそうに、それでも微笑みながら話してくれました。

あまりに夫婦仲が良かったので舅の死後、姑はウツになって2年近く苦しみました。ウツが癒されたのは長年夫の介護をしていた妹(叔母)の夫が亡くなって、子どものいない妹を支えなければと奮起したのがキッカケでした。

その頃、叔母は東京近郊に住んでいて姑は姉としての愛情に突き動かされて数ヶ月間叔母と同居して支えました。姑自身が後でその時のことを振り返って「愛する人の為にとか、自分でも役に立てるという思いが大事なのね。私はそれで癒されたわ。」と話していました。

その愛情深い姑が亡くなったのが2017年の1月7日でした。悲しみはもちろん嫁としてやり足りなかったのではないかという申し訳なさが私にありましたが、夫(舅)の誕生日に召されたことが姑らしいとも思えました。

そんな訳で毎年12月20日には舅のことを思い出し、1月7日には舅と姑のことを思い出す、私にとって忘れることの出来ない日です。

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 ありし日の舅と姑