ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

少し変わっている仕事なので紹介を

空が雲に覆われて少し薄暗い土曜日です。今日は王将戦第3局だというので夫が楽しみにしていて今日明日と中継をかぶりつくように観ることと思います。

さて、牧師の仕事は世間の皆様からはあまり馴染みがないのではないかと思いますのでざっと紹介します。まず礼拝の中でメッセージ(説教)をするということはご存知の方が多いかと思います。牧師にとってメインの仕事になります。

説教は行き当たりばったりで語る訳ではなく、語るべき主題と聖書箇所を祈りの中で決め、決まったら原稿書きに取り掛かりますが、祈りと黙想の中で与えられることを書いていきます。

ですから常日頃から聖書を読むことや勉強も仕事のうちです。話すことが仕事ですが、言葉巧みな人が説教上手という訳ではなく、朴訥の語りでも人のたましいをふるわせるものです。

祈りも欠かせません。祈りなくして良い働きはできないからです。何を祈るかというと普通に自分自身や家族のこと、多くの方から祈りの要請があるのでその為と、気にかかっている信徒さんのこと、社会問題なども祈りますが、大切なのは神の導き、神のみこころを求めての祈りです。

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない,理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」エレミヤ書33章3節

カウンセリングの仕事も入ってきます。殆どは信徒からで、直接だったりメールだったり電話だったり結構ひんぱんです。悩み痛む者に寄り添い、共に歩むことは神のみこころにかなったことですが、依存を生んでは本末転倒になるため、そうならない為に祈って上からの知恵をいただきます。

慰め、励まし、助言などは聖書が基になります。信じる者にとって特にですが、聖書は希望と慰めに満ちているだけでなく、聖書を通して新しい視点が与えられ、物事を俯瞰できることもあるので人に劇的変化をもたらすことが可能です。私自身そのような方々を多く見てきました。

通常のカウンセリングと違うのはよく聴くだけではなく、祈りが大切な鍵だということです。祈ることで識別力を与えられ、何が本当の問題かという知識や、建て上げるためにどう答え、伝えるかといった知恵が与えられるからです。

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」ヘブル人への手紙4章12節

コロナで交わりが持てなくなっている方と連絡を取ったり、可能なら訪ねて行ったりもします。どの牧師もそうだと思いますが、人が建て上げられることに喜びを感じます。

私の場合は教会の会計業務もしていますが、牧師としては少し珍しいかも知れません。他に時々ブログに書いていますが聖書学校の教師もしています。

かつてはしていたけれどフルタイムではなくなった私がしていないのが告別式の司式です。うちの教会の場合は結婚式も告別式も信徒とその家族のみを引き受けています。

牧師は(宣教師もそうですが)職業としての求人はありません。就きたいから就く仕事ではなくて神に召された(召命といいます)者が就く仕事だからです。

医師や弁護士など一般的に人も羨む仕事を捨ててまで牧師になった人もいれば、極道から回心して牧師になった人もいるのはその為です。

ちなみに私は聖書学校を卒業してはいましたが特に何の取り柄もない主婦として過ごしている中で召命され、訓練期間(献身者といいます)を経て牧師になりました。

私が「牧師になろうと思っています。」と姑に話した時に、まだクリスチャンではなかったのに目を輝かせて喜んでくれた姑の笑顔は忘れられません。

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姑が使っていたリモージュの小皿等。一度処分しようと思ったのを思い直して並べてあります。