ゆるり日記

息抜きに身の回りのことや聖書のことなど気の赴くまま書きます

若い時の測りから解放されて

柔らかな日差しが心地良い日です。久しぶり(6日ぶり)の記事更新となりました。

昨日は久々の長距離ドライブで、あるお宅を8年ぶりに訪問しました。道を覚えているだろうかと思いつつ向かいましたが、8年前までは月1で12年間訪問したお宅ですから少し周りの様子は変わっていましたがスムーズに到着しました。

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訪問したEさんはスーパーウーマン、パーフェクトウーマンと評されるような「出来る女」です。

病気で外出が出来ず家篭り生活だった彼女を訪問していましたが、私が介護休職するにあたり他の方に役目を引き継ぎました。

彼女は病気と闘って一切外出が出来ないながら、その生活は健康な人でも及ばないほど手抜きのない完璧と言える家事をしていました。

昨日も全部屋に入れて貰いましたが、相変わらずどの部屋にもムダな物が一切なくスッキリしていて、なおかつ長年イギリスで仕事をしていただけあってインテリアは英国調で洒落ています。

私とは真逆の生まれ育ちの彼女は裕福でインテリの両親のもと、ピアノ、クラシックバレエ、お習字等々幾つものお稽古事をしながら学業は優秀。けれど、そういうことをひけらかすことは品がないことと育てられたお嬢様です。

ですから東京の某国立大学を出、イギリスで仕事をした理系女子でありながら自分の経歴を微塵も鼻にかけることはありません。

病気のために頭がボンヤリして集中力も欠如したと言うものの彼女の並外れて高い能力に凡人の私は何度驚かされたか分かりません。

しかし、どんなに高い能力があっても療養のためにそれを活かせず、スキルも何も錆び付いていく感覚は彼女にとって人生を棒に振っているような空しさと悔しさに打ちのめされる日々でした。ですから外出が出来るようになった彼女と外で再会した時は我が事のように喜びました。

その彼女が昨日「社会と隔絶した時間は毎日が無意に過ぎていくとしか思えず、自分は無価値な者と嘆きもしたが、還暦を過ぎて若い頃の人生の測りから解放された。

どんなに社会で活躍した人や成功した人もその一線から離れると栄華も過ぎ去って過去のものとなる。それから問われるのは人間として本質的なこと。肉体は衰え能力も失っていく。けれど、それらに左右されない真に価値あるものが存在の尊さ。以前はそれを頭では分かっていたけれど、今やそれが心にまで下りてきて心から感謝できるようになった。」と話してくれました。

彼女のその言葉には長い年月を厳しい試練で練りに練られてきた人ゆえの重みを感じ、心に響きました。

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